終了認定という儀式

昔のゲームは難解な物が大半でした。
「ゲームはユーザーをストレスなく遊ばせる物」と言う思想が無かったと言う時代背景や、
少ないボリュームのゲームを長く遊ばせるために、敢えて難易度を上げて、
なかなかゲームがクリア出来ないように仕向けると言う、メーカー側の思惑などから、
昔のゲームは難易度が高い物が多かったのです。

さて、これは高難易度で知られる、
Might and Magic BookU Gates to Another World!のパッケージ一式。
前作同様の紙箱。非常に保管が難しい。 マニュアルは一冊だけ。スペルブックは無くなった。

認定書請求はがき。

そして、これはパッケージに付属している、終了認定カード申込書です。
現代のゲーマーには聞き慣れない付属品だと思います。

現在のゲームには余り見かけない仕様ですが、
昔のコンピュータゲームには終了認定制度の様な物がありました。

ゲームをコンプリートすると、パスワードなどが表示されるので、
それをはがきに書いてメーカーへ返送したり、あるいは、
ゲームコンプリートしたユーザーディスク(セーブデータを記録したメディア)をメーカーへ送ったり、
コンプリートした画面を写真に収めて、それをメーカーに送ったりすると、
ゲームの終了認定証が貰えると言ったサービスがあったのです。
例えばMM2ならこんな感じ。
パスワードをハガキに書いて送れば認定カードが貰えると言う一般的なパターン。

この他、有名な日本ファルコムの「XANADU」などは、
ゲームをクリアしたら、ユーザーディスクをそのまま送ると言う面倒な形を取っていたが、
これは「データの不正改造」(今で言うチートコード)をして
ゲームを終わらせたプレイヤーかどうかを確認する意味合いもあったらしい。

余談だが、XANADUでは隠しアイテム扱いの、
+7Large Shieldを手に入れた状態でクリアしたプレイヤーには、
別途で記念品が貰えたとか貰えないとか言う話があったのだが……
(この辺りはちょっとあやふやで、Shieldを持っていないと終了認定して貰えない?
と言う話だった可能性も……)
筆者はXANADUの終了認定を請求していないので真相は分からない。

さて、この終了認定書と言う存在が、
当時のコンピュータゲームと言う存在の「立場」を、赤裸々に語ってくれます。
つまり、認定書の存在すると言う事は……

1:コンピュータゲームとは「コンプリート(ゲームをクリア)することが困難」で、
ゲームを解く事自体が賞賛に値するような時代であった事。

2:「ゲームの攻略法・攻略本」と言った書籍やデータベースが極めて少なかった事。
ゲーム発売と同時に「攻略本」のような物が出版され、それを手にゲームを進めれば、
誰でもクリア可能と言う時代ではありませんでした。
そう言った状況なら、ゲームクリアを認定する様なシステムはあり得なかったでしょう。
攻略本を買えば誰でも終了認定が認められるわけですから。


参考までに、これはT&Eソフト「ハイドライド」の資料請求券。
この時代、メーカー公式の攻略本等というものは存在せず、
ゲームの攻略はパソコン雑誌か、JICC出版や電波新聞社辺りの、
ゲーム攻略特集に頼らないとどうにもならない時代でした。

その為、どうしてもゲームが解けない人向けに、メーカー自身がこういった「ヒントの請求サービス」をやっていました。
説明書の裏などにこういった「ヒント請求用紙」が付属しており、これを切り取ってメーカーに送ると、
要点を教えてくれる
と言う寸法でした。しかし、マニュアルを切り取るのは当時でも勇気がいる行為で、
(マニュアルが台無しになる、中古で売る際に当然減額される……等)
果たしてどれだけの人がヒントを請求したのやら……

XTALソフトなどのメーカーは、こう言ったヒント請求券がさらに凝った造りになっており、
ヒント請求券が3枚綴りの回数券の様になっており、
なおかつ、その用紙が終了認定書請求用紙と同一になっていたりしました。
つまり、ヒントを請求しようと、用紙を切り取ると、終了認定用紙が台無しになってしまう構造。
ヒントを請求できるのは3回までで、しかも請求した時点でゲーム終了認定書を貰う権利を失う……と言う寸法です。
終了認定してやるのはノーヒントで解いた人だけだ! と言うメーカーの主張を露骨に現しています。


ゲームの終了が「認定」される、評されると言う事は、
つまりゲームの難易度が高かったと言う事に他なりません。
現代のコンピュータゲームの様に「誰でも簡単にクリア出来る」状況ではなかった訳です。
インターネット等という物はありませんし、攻略本も限られており、それこそ、
ゲームを買っても全く進められないまま積みゲーと化し、
そのまま葬られる……と言うケースもありました。
コンピュータゲームという物がマイナーな存在であり、
一部のマニアが楽しむだけの物だったからこその状況です。

ある意味、難解な芸術品と、その難解な芸術作品の
批評を趣味とする好事家
と言った関係でしょうか?

制作者側からの挑戦を、ユーザーが受けてたつと言う感覚……
この当時は、コンピュータゲームとユーザーが「競い合っていた」時代だったのです。

そして時代は流れ、任天堂のファミリーコンピューターの爆発的なヒット等により、
一気にコンピュータゲームはメジャーになものになりました。
そして、注目され、ゲームソフトが沢山の売り上げが期待できる存在になると、

ゲームソフトはユーザーと競ってる場合じゃなくなるのです。

無理に難易度を上げ、ゲームを買ったユーザーが、
ゲームをクリアできない状況になってしまうと、ゲームに不慣れな初心者や、
あまりゲームに興味がなかった一見さんは不愉快な気持ちになります。

マイナージャンルであった頃は、コンピュータゲームに手を出す人は、
「ある程度覚悟を決めた人」でした。既に雑誌や友人から話を聞いていたり、
友人から借りて体験済みだった様な人が、自ら望んでゲームの世界に入ってきた訳ですから、
自分で買ったゲームに多少の不条理があったり、難易度が高かったりしても我慢が出来ます。
何しろ「自分が好きでやった」事ですから。

ですが、ゲームがメジャージャンルになり、その間口が広がると、
「覚悟が決まっていない人」も手に取り、ゲームの世界の扉を開くようになります。
そう言った人は気楽に暇つぶしの娯楽として手に取ったわけですから、そこに不条理や、
ユーザーに優しくない部分があると、怒り、二度とゲームを手にしなくなります。
「こんな思いをするために金を出したんじゃない!」と。

こう言った「何となくゲームを手に取った、カジュアルユーザー」に対して、
高難易度・説明不足・不条理展開のゲームを与え、コンプリートを要求することは、
言うならば、草野球感覚で、適当にクラブ活動として野球を楽しもうと野球部に入った人に、
甲子園大会出場を強制するような物です。
野球の名門校に自ら志願して入り、野球部に入部した人とは覚悟の量が違うのは当然でしょう。
ゲームで「楽しもう」とした人にとっては「話が違う」のです。

コンピュータゲームがメジャー化し、多くの一般層がゲームを楽しむようになった現代。
ゲームはマニアの為ではなく、一見さんや一般的なカジュアルゲーマー層がターゲットになり、
ゲームは「最大限ユーザーを慮って、楽しませる」事を目的として制作されるようになりました。
そこには、「オレの難解なゲームを終了させたユーザーは表彰してやるぞ!」とか、
そう言った制作者側からの挑戦状的な思想はありません。
市場に出されるゲームは、理不尽さを感じることなく、
誰もが楽しめるようなシステムで造られる様になったのですから。

現在では、ゲーム攻略本の売り上げもメーカーの重要な収益となっているので、
ゲームを簡単に攻略させない為に「敢えて攻略本を発売しない」と言う事は商売上不可能。
また、仮にメーカー側が攻略本を提供しなかったとしても、
今はインターネットで攻略の情報が簡単に共有できてしまいますので、
攻略本があろうが無かろうが、短期間でゲームは解かれてしまいます。
ゲームの攻略が表彰に値する時代は完全に過ぎ去ったと言えましょう。
また、「明確な終わり」が存在せず、アイテム捜しなどで延々とユーザーを拘束させるゲームや、
本当の意味で終わりのない、MMO等のネットワークゲームの台頭も、
「ゲームの終了認定」の無意味さに拍車をかけています。

私、AN-510はハイドライド3やジハードなどのゲームで認定書を貰いましたが、
今後、そう言ったゲームコンプリート認定制度が復活することはまずあり得ないでしょう。
(パズルゲーム等のジャンルならあり得ますが……)

終了認定書とは、まだコンピュータゲームが娯楽と言うより、
「少数の好事家によって支えられた競技」に近かった時代の遺物なのです。
こう言ったものが衰退したと言う事は、ゲームが広く一般に浸透したと言う事でもあり、
ある意味喜ばしい事なのかも知れません。


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