その名はスクウェア

コンシューマーゲーム界では知らぬ者はいないゲーム界の巨人、スクウェア。
ファイナルファンタジーシリーズや聖剣伝説シリーズ、サガシリーズなどのソフトウェア群を有し、
現在は一時期の勢いこそなくなって「スクウェア・エニックス」として合併企業になったものの、
その名は色あせることなく、燦然と輝いています。

……が、しかし、スクウェアが設立されたのは1983年。
実際にスクウェアが世に知られるようになり、飛ぶ鳥を落とす勢いで、
ゲーム市場を席巻していったのは概ね80年代後半から、90年に入ってからの事。
そして、名を上げるきっかけとなったのは、任天堂ファミリーコンピューター用のゲームソフト、
「ファイナルファンタジー」である事は誰でも知っていますが、
このファイナルファンタジーが発売されたのは1987年。
スクウェアがファミリーコンピューター向けのソフトを発売したのは1985年からであるし、
果たして、設立された1983年から、ファイナルファンタジー発売前までの1986年まで、
スクウェアは一体何をやっていたのでしょう?

ファイナルファンタジー以後のスクウェアは良く知られているものの、
社史からも、殆ど「なかったこと」にされている、
ファミリーコンピューター以前のPCゲーム時代のスクウェア……
今回は、意外と知られていない、スクウェアの下積み時代を、
PC88ユーザーの視点から語って見たいと思います。



■ 唯一の成功作にして、スクウェア精神を具現化した存在

黎明期、パソコン向けゲームメーカーとしてのスクウェアを考える上で、
まず始めに紹介せねばならないのがクルーズチェイサー・ブラスティー
スクウェアのパソコン向けゲームとしてはほぼ唯一の大ヒット作であり、
ある意味スクウェアの方向性を明確に現したソフトウェアでした。

PC-8801用ブラスティーのパッケージ表。
正方形で非常に大きく、紙箱なので壊れやすいという、
コレクター泣かせの代物だ。

こちらがパッケージ裏。
アニメーションが売りなのがよく分かる。
中身のディスクはこうなっている。Aディスクはピクチャー仕様である。
実はピクチャー仕様フロッピーディスクを採用したのは、このスクウェアのブラスティーが日本初。
流石にゲーム内容以外の充実さにめざといスクウェア。
しかし、Bディスクは通常型と、変なところでケチっているのが涙ぐましい。

・設定資料集
・印刷が薄い上に間違いだらけのマニュアル
・マニュアルの訂正冊子
(左より)
資料集の中身はこんな感じ。
「MS少女」みたいなのが流行った時代でもあった。

なお、このデザインを担当しているのはサンライズの明貴美加氏である。

おまけのシール(右)と、
ソノシート(左の赤い奴)

上の黒い小冊子は自社ソフトのカタログである。
小冊子の中身。

発売中止になった「アムトラック」の広告が……

ドラゴンスレイヤーは言うまでもなく、
ファルコム製。スクウェアが移植を担当していたのである。

このブラスティーは1986年に鳴り物入りで発売され、
前宣伝と、グラフィックと、日本サンライズというネームバリューと、アニメーションと言う、
解りやすいセールスポイントが功を奏し、かなりの売り上げを叩き出しました。
しかし、ゲームの中身は当時の他社製PCゲームと比較して、それほど優れた内容ではなく、
良く言ってアニメーション鑑賞ゲームでしかなかった……と言うのが一般的な評価でした。

※なお、詳しいゲームの内容や攻略などは、
本家Rest In PeaceのWebページで行っておりますので、そちらを参照して下さい。

そして付属している特典グッズは……ピクチャーディスク、豪華設定資料集、ソノシート(※1)
これ以外にも「セル画プレゼント」と言うキャンペーンもあり。
現在の版権物ゲームに良くある「豪華特典商法」を思い起こさせる中身です。

1986年にして、
・グラフィック重視
・動画重視
・大々的な宣伝
・豪華特典(初回限定版)
と言う商売の方向性が定まっていたわけです。

また、ブラスティーはマルチメディア展開されたゲームでもあり、
本ゲームの他にOVAが検討されていたり(これはお蔵入り)、小説版や、
ホビージャパン誌上で外伝的な話が連載されていました。

小説版のブラスティー。
キャラクターイラストは当時ARIELで有名だった鈴木雅久氏。

移民星に対して行われた異星人の襲撃に巻き込まれる……と、ゲーム版とはストーリーや設定が全く異なる。
メカのデザインも根本的に違い、肝心のブラスティーもあっさり撃破されて墜落する為、
実質的には名前を借りただけの別物と言える。

小説版のブラスティーは10人程度のクルーを乗せて星間航海が可能な巡航船であり、
一応戦闘形態に変形は出来るが、ゲーム版のような単座の戦闘機ではない。
小説版のブラスティーをクルーザー(巡航船)と呼ぶのは解るが、チェイサー(追撃機)と呼ぶにはちょっと無理がある。
どちらかというと小説版のブラスティーは極小型のマクロスと言う感じである。
(ロボットが巡航形態に変形するのではなく、居住空間のある船が戦闘形態になれる……と言う方式。)

なお、ホビージャパン上では結構盛り上がっており、
色々とブラスティー特集が組まれる事もしばしば。
コレオ・プテールとかチグリ・フォーン(※2)等のデザイン画や、
マニエル特集(笑)とか。
マニエル度チェックとかを覚えてる人はいますかねぇ……
レイズナーのゴステロと共にアイドル化(?)されてたのが懐かしい。

ともあれ、PCゲームでのスクウェアの成功作はこの作品くらいのもので、
あとは「そこそこ」の売り上げか、泣かず飛ばずだったのが現状です。
では、ブラスティー以外のゲームはどうだったのか?
次は創業から黎明期までのスクウェアを見てみましょう。



■ 茨の道

スクウェアは1983年に徳島県の電気関連会社「電友社」の関連会社として設立され、
当初は「パソコン関連ショップ」と言うような形で、ハードやソフト等の販売を行うメーカーでした。
その後、自社でもソフトウェアを開発するようになり、
パソコンショップとソフトメーカーを兼ねる(※3)ような形態のメーカーを経て、
最終的にソフトウェア開発のみに方向を定め、1986年に電友社から独立。

そして、スクウェアが発表したパソコン向けゲームは以下の通り。

ソフト名称 年代 ジャンル 備考
デストラップ 1984年 アドベンチャー
Will 〜デストラップU〜 1985年 アドベンチャー
テグザー 1985年 ロボットアクション ※X1用 ゲームアーツ社の作品の移植をスクウェアが担当
ドラゴンスレイヤー 1985年 パズル風RPG ※MSX用 日本ファルコム社の作品の移植をスクウェアが担当
クルーズチェイサー
ブラスティー
1986年 3D系RPG
α 〜アルファ〜 1986年 アドベンチャー
エイリアン2 1987年 横スクロールアクション ※MSX用
キングスナイト スペシャル 1987年 フォーメーションRPG ※ファミコン版からの移植作
ジェネシス 1988年 平面図RPG

ご覧の通り、タイトルだけ見てもなんともパッとしないラインナップで、
そのラインナップの中には、ゲームアーツのテグザーや、
ファルコムのドラゴンスレイヤー等、他社作品の移植品も紛れている。
(この他にもMSX版のキングスナイトとかもあるが、基本的に対応機種が違うだけなので割愛。)
近年でこそ「技術のスクウェア」等と言われる事も多いが、
この頃は特に技術面で他社に優れる部分はあまりなく、
メーカーとしての立場もかなり低い存在でありました。

そして前記の通りブラスティー以外は大した評価も受けず、
概ねスクウェアのゲームで話題になったのは、
デストラップUの女形アンドロイド「アイシャ」のアニメーションと、
いのまたむつみ女史がデザインを担当した、
アルファ(※4)の女主人公「クリス」のアニメーションくらいのもの。

特に後期の1987年以降に造られたエイリアン、キングスナイト、
ジェネシス辺りは話題にもならず、鳴かず飛ばずだったスクウェアはPCゲームを諦め、
当時爆発的に市場が膨張していた、任天堂ファミリーコンピューター
向けゲームの開発にシフトして行く事になります。



■ 根本的になってなかったゲーム開発のセンス

80年代も後半に入ると、既にPCゲームはRPGがトレンドの時代。
ハイドライドやザナドゥ(※5)が肩で風を切って歩いていた……そんなに時代に、
独自フォントのテキストすら使用していない、単語入力式アドベンチャーゲームや、
MSX向けの版権物横スクロールアクションゲームの投入など、
市場の流れが全く見えていないとしか言いようがなく、
このPC向けゲームのラインナップの微妙さからも解るとおり、
当時のスクウェアは業界を代表できるようなメーカーではなく、
そのゲーム開発のセンスの無さは目を覆いたくなるほどでした。

無論、当時も版権物や、アニメーションを売りにしたゲームに需要はありましたが、
キャラクターやグラフィックを売りにしたアドベンチャーゲームとしては、
例えばエニックスの版権物アドベンチャー「ウイングマン」(※6)などの方が遙かに出来が良く、
スクウェア製アドベンチャーゲームは他社と比べて自慢できる部分は特にありませんでした。

また、アニメーションと言う点でも、1985年にPC-9801向けに発売された、
やはりエニックスの「セイバー」(※7)の方が先駆者であり、評価も高かったのです。
しかも、セイバーの開発陣は全員高校生だったと言うオチまでついていました。
当時のスクウェアは、ぽっと出の高校生クリエイターにすら負けていたわけです。

そしてエニックスは1984年にウイングマン。
1986年にウイングマン2、そして1987年にジーザス、
1988年にアンジェラス、1989年にバーニングポイントと、
次々と優秀なアドベンチャーゲームを投入。
そして最終的には国産のアドベンチャーゲームは、
コナミのスナッチャーやT&Eソフトのサイ・オ・ブレード等まで進化をして行きますが、
スクウェアは1984年にデストラップ、1985年にウィル、1986年にアルファ、
そして1988年にはPCゲーム界から撤退してしまった訳で、
これでは比較対象にすらなれません。

ブラスティーで注目されてきた1986年辺りに、PCゲームの違法コピー被害が拡大し、
スクウェアはそれを嫌がってPCゲーム界から撤退したと言う話もまことしやかに流れていますが、
別にコピー問題云々ではなく、単に技術面で劣り、
他社との競争で負けて撤退したと言うのが現実です。

PC-8801のゲーム市場が崩壊した要因は、コピー品の横行と言うより、
上位機種であるPC-9801の台頭と、ファミコンを代表とする、
安価で一般層まで巻き込んだコンシューマーゲームの躍進による所が大でした。



■ しかし逃げ出した先も地獄だった

そんな訳で、パソコンゲームの開発に見切りをつけ、
コンシューマー向けゲームに転向したスクウェアですが、

……やってしまった。
スクウェアはまたしてもやってしまった。

ファミコン参加第一弾がテグザー

大切な処女作が自社製オリジナルではなく、他社製ゲームの移植作。
そして、オリジナルのゲームアーツ版テグザーは、テンポのよい展開と、
スムーズな変形アニメーション、そしてロボット形態時のオートロックオン式、
全方位レーザーキャノンで、近寄る敵をなぎ払う……など、
ロボットアクションゲームの粋を極めたようなゲームでしたが、
このスクウェア謹製ファミコン版テグザーはお話にならない出来で、
特に、テグザーの象徴とも言うべき全方位レーザーが丸々カットされ、このファミコン版では、
しょぼい玉っころが、ポンポンと情けない音と共に3発だけ発射されると言う、
惨めったらしいロボットに成り下がっていました。
当然、大した評価も受けず……と言うより、
PC版のテグザーを知る者の怒りを買うだけの結果に終わったのです。
そもそも、ハードウェアでスプライトやドットレベルのスクロール機能を搭載していたファミコンは、
ある意味PC88よりもアクションゲームが造りやすい環境にあったわけですが、
それでこの様と言うのはどういうことかと……

そして、テグザーに続いて投入したのがキングスナイト

なお、このキングスナイトが栄えあるスクウェア初のファンタジー系ロールプレイングゲームです。
(ジャンル名はフォーメーションロールプレイングゲーム
これに関してはもはや語ることもないでしょう。
(キングスナイトに関しては頭脳戦艦ガルコラム内の資料集をご覧下さい。)

では、ここでファイナルファンタジーが出るまでの、
茨の道を歩むかのようなスクウェアのファミコン向けゲームソフトのラインナップを紹介します。
水色のタイトルはディスクシステム用ソフト)

ソフト名称 年代 ジャンル 備考
テグザー 1985年12月 ロボットアクション ※移植作
キングスナイト 1986年9月 フォーメーションRPG
水晶の龍 1986年12月 アドベンチャー
魔洞戦記 ディープダンジョン 1986年12月 タイニーWizardry#3 ※DOG名義
とびだせ大作戦 1987年3月 スペースハリアー
アップルタウン物語 1987年4月 リトルコンピュータピープル(今で言うシム系) ※DOG名義
ハオ君の不思議な旅 1987年5月 アクション ※DOG名義
勇士の紋章 ディープダンジョンU 1987年5月 タイニーWizardry ※DOG名義
磁界少年メットマグ 1987年7月 アクションパズル ※DOG名義
クレオパトラの魔宝 1987年7月 アドベンチャー
ハイウェイスター 1987年8月 レース
カリーンの剣 1987年10月 平面図式RPG ※DOG名義
JJ とびだせ大作戦U 1987年12月 スペースハリアー
ファイナルファンタジー 1987年12月 平面図式RPG

当時のスクウェアは、自社製品だけではなく、他社製品の移植(ゲームアーツのテグザー)や、
ディスクシステム向けのゲームをDOG名義で販売したりもしていました。

※ DOG
Disk Original Groupの略で、スクウェアを中心とした、ディスクシステム用ゲーム開発のブランド名。
ちなみにディープダンジョンはハミングバード製。カリーンの剣はXTALSOFT
アップルタウン物語は言うまでもなく、アクティビジョン製。
磁界少年メットマグは何とシンキングラビット、ハオ君の不思議な旅はキャリーラボ製。
レトロPCゲームファンにとっては感涙もののメーカーラインナップである。

こうして表にしてみると、ディスクシステム向けのゲームが多い事に気付き、
意外と思う人も多いかと思います。そして、多くの人が意外と感じると言う事は、
これらのディスクシステム向けのゲームは人々の記憶にすら残ってないと言う訳で、
これは即ち大半のスクウェア製ゲームは失敗に終わっていたと言う証拠でもあります。

そもそも、元々からしてPCゲーム方面で活躍し、
満を持してコンシューマーゲーム界に乗り込んだと言う訳ではなく、
(エニックスや光栄は、PCゲームで名を馳せつつ、満を持して、
すでにPCで好評を博していたゲームをファミコン版に移植して参入と言う形を取っている。)
スクウェアは単にPCゲーム界に居場所が無くなって、逃げ出してきたと言う経緯な訳で、
どこぞの漫画主人公の台詞ではないが「逃げ出した先に楽園がある」筈もなし。
PCゲーム市場で受けるゲームを造れなかったメーカーが、
一喜一憂にコンシューマーゲーム市場で受けるようなゲームを造れる筈もなかったのです。

ファミコンマガジン誌上での「ウソ技」
シンシアの野球拳以外に何の話題にもならなかった水晶の龍。
Wizardryシリーズの劣化版3DRPGでしかないディープダンジョン。
(まぁ、これの開発元はハミングバードなんですが……)
技術的には素晴らしかったが「だからどうした?」感がありありだったとびだせ大作戦。
……この様に大半のソフトはロクな評価を得られず、
スクウェアは順調にコンシューマーゲーム界でも死につつあったのです……



■ 最後のチャンスで得られた逆転手

……が、運命の日1987年12月。
遂にファイナルファンタジー(※8)が登場します。
内容に関してはもはや語るまでもないので、敢えて多くは語りませんが、
概ね、D&DやWizardry、Ultima等の古典的なRPGを参考にして造られており、
職業の区別、4人パーティプレイなど、当時のファミコン向けRPGとしては
比較的高度なシステムを採用していました。

内容以外でもこれが失敗したらお終いだという覚悟をそのままタイトルに託し、
当時吸血鬼ハンターDの挿し絵や、PCゲームでは呉ソフトウェアの、
ファーストクイーンシリーズで有名だった、天野喜孝氏をキャラクターデザインに抜擢するなど、
内容も、宣伝も、意気込みも、あらゆる面で「必死さ」を表に出した、
スクウェア一世一代の大攻勢でありました。

売り上げに関しても敢えて語るまでもなく、
このファイナルファンタジーがスクウェアの救世主となり、
今までの負債を全て返してしまったと言う事実を見るだけで十分でしょう。

しかし、ファイナルファンタジーのヒットも、内容的な出来の良さ以外にも、
時系列的に恵まれていたと言う「運」の要素は大きかったでしょう。
あの当時、RPGと言う物は全く市民権を得ておらず、多くの低年齢層のファミコンユーザーは、
RPGと言う物がどういうものか、殆ど理解していませんでした。

そんな状況で、いきなりパーティ制を採用しており、
最初のメンバー選定で失敗すると後々で地獄を見たり、
「アンデッドにダメージ」など専門用語満載で、武器や魔法に属性があって、
属性を考えないと戦闘での有利不利が大きく現れるなど、
マニア向けすぎるファイナルファンタジーをやらせたら、若年層のファミコンユーザーは、
「RPG」と言う物を「学習」する前に投げ出してしまったかも知れません。

ある意味ファイナルファンタジーのヒットは、
ドラゴンクエストというRPGの下敷きがあっての事なのです。
当時のファミコンユーザーは、ドラクエという気楽で誰でも遊べる、
ルールが簡単なゲームで「RPG」と言う物を「学習」した訳で、ファイナルファンタジーは、
そのドラクエの後に発売された故、『ドラクエより高度なRPGなんですよ!』と、
上手く宣伝することが出来、ドラクエでRPGを学んだユーザーが「脱初心者」を目指して、
ファイナルファンタジーに手を出せた訳です。

ともあれ、練られた内容に、大規模な宣伝、
そして時流に乗れた天運も味方にして、ファイナルファンタジーは大ヒットし、
その後もエニックスのドラゴンクエストと競いながら、任天堂ハード上で、
立て続けにファイナルファンタジーシリーズを成功させ、
それ以外にも聖剣伝説やSaGaシリーズなどのヒットシリーズをも産みだし、
スクウェアは一流メーカーへの階段を駆け足で上っていくのでありました。



■ 結局、任天堂にはなれなかったスクウェア

……が、任天堂がスーパーファミコンの次に発表したハード、
ニンテンドウ64のコンセプトに賛同できなかったスクウェア(とエニックス)は、
任天堂ハードを離れ、SCEのプレイステーションに活動の場を移します。
一時期は、常にソフトウェア売上本数で日本一を維持していた任天堂を抜く等、
大いに勢力を伸ばし、その勢いに乗じて他社の開発者を引き抜き、
手広いジャンルのゲームを大量に開発し、発表したものの、
殆どがものにならなかったり、ゲームの流通を牛耳ろうとして失敗したり、
重鎮だった坂口氏が暴走してCG映画に数百億円突っ込んで、会社自体を傾けたりして、
一時の栄光が嘘だったかのように落ちぶれて、現在では「スクウェア・エニックス」と言う、
かつての二大メーカーが寄り添って生きている形に落ち着きました。
90年代を思い起こせば、あの二大メーカーが合併しただけでも信じがたい事です。

スクウェアは日本最大のソフトメーカーになりたかったのでしょう。
「RPGしか造れない」と言う評価から抜け出したかったのかも知れません。
当時、スクウェアはありとあらゆるジャンルのゲームを自社だけで網羅しようとし、
あり余る資金を湯水のように使って多種多様なゲームを送り出しました。

格闘ゲームのトバルシリーズ、ブシドーブレードシリーズ。
シューティングゲームのアインハンダー。(主な開発者は元コナミ出身者)
麻雀ゲームの牌神。
ダービースタリオンの開発者を引き抜いて造らせた、育生SLGのチョコボスタリオン。
レースゲームのチョコボレーシング。
チョコボの不思議なダンジョン。
野球ゲームのデジカルリーグ。

……このように、ありとあらゆるジャンルのゲームに手を出しつつ、
結局、有力なシリーズはファイナルファンタジーくらいしか残りませんでした。
そして、今でもスクウェアで定評のあるジャンルのゲームはRPGだけです。
10年間の努力は水泡に帰し、「グラフィック重視のRPG」を主力とした
ゲーム制作に戻っていったのでありました。

結局、スクウェアは20年前から定まっていた方向性、
・RPG主体
・グラフィック重視
・アニメーション(動画)重視
と言う殻を破ることはできなかったのです。

ファイナルファンタジーの生みの親たる坂口氏も今や部外者。
しかし相変わらずファイナルファンタジーくらいしかこれと言った売り物が無く、
利益の多くはオンライン版のFF11から徴収(敢えて売り上げとは言わない)し、
何だかんだで国内ナンバー2の座は守っているものの、
何となしに先行きの不安さを感じるスクウェア・エニックス。
果たして彼らはこれから先はどうなるのか、何処へ行こうとしているのでしょうか……

映画的なおもしろさは本物の映画には絶対勝てません
ゲームならではのおもしろさを追求してきたいと思っています

二十年前、ヒゲのおじさんはこんな事を言っていたのですが……
「10年後に言われる」どころか、20年に渡って作り続けられ、
挙げ句に自分が居なくなった後でもシリーズが続いて行くとは、
ヒゲのおじさん自身ですら夢にも思わなかったでしょう。




〜 資料集 〜

※1 ソノシート
若い方には全くなじみがないだろうが、簡易的なレコードの一種である。
現在では雑誌の付録などにCDやDVDが付属されているが、昔はこれが付属されていた。
今で言うところの、初回特典版付属のサントラCDみたいな物と思ってくれれば良い。


※2 コレオ・プテール、チグリ・フォーン、マニエル(笑)
コレオ・プレール、チグリ・フォーンなどは小説版ブラスティーに登場するマシン。
小説版はゲーム版と世界設定が全く異なり、
ブラスティー等のメカのデザインもかなり異なっている。
また、小説版ブラスティーはホビージャパン誌上で連載されていた初期の物と、
その後大幅改訂されてソノラマ文庫より出版された物があり、それぞれ細部が異なる。
なお、マニエルは主人公達の敵役として存在していたマッチョ男。
前述の蒼き流星SPTレイズナーに登場する敵、
「ゴステロ」に近いメンタリティの持ち主かつギャグ要員というおいしい役所だった。

※3 ショップ兼業
パソコンショップがソフトメーカーを兼ねる、と言うのは当時珍しくもない事で、
かの日本ファルコムも当初はパソコンショップでした。
また、現在のコーエーや、現在秋葉原に店舗を持つパソコンショップ「ツクモ電機」も、
かつてはパソコンショップを経営しつつ、自社で開発したゲームソフトを店頭で売っていた兼業形態のメーカーでした。
ただし、スクウェアやファルコム、コーエーがパソコンショップを縮小(または撤退)し、ソフト開発に専念したのに対し、
ツクモは逆にソフト開発から手を引き、ショップの方に専念したので、方向性は逆なのですが。
ちなみに、コーエーは 染物屋 → パソコンショップ、パソコン教室 → ソフトメーカー と言う凄い転身をしてきたメーカー。


※4 アルファ
スクウェアにとっては3作目のアドベンチャーゲーム。
ブラスティー同様にアニメーション処理が売りで、キャラクターデザインはいのまたむつみ女史が担当。
『遙か彼方の星を目指た人類は、巨大な移民船を建造し、その船内で自給自足をしつつ、
長い旅を続けていたのだが、その何世代にも渡る長い年月の内に、人々は目的を見失ってしまっていた。
星への旅など忘れた人々はただ無気力に日々を過ごしていたが、
ふとした事で当初の目的を知る事となった主人公クリスが船を移民星へと導く』……と言うストーリーで、
要はロバート・A・ハインラインの「宇宙の孤児」等、古典的SF作品をそのまま反映させたものであり、
SFファンならばありきたりと感じる設定であろう。
システム的には、部分的なアニメーションが採用されている他は何ら特筆すべき点はなく、
フォントもPC-8801デフォルトのカタカナで、手抜き感は否めない。
だが、キャラクターの人気で売れ行きはブラスティーに次いで上々だった。

後、どこかの雑誌の広告で「クリスとクレア、共に輝く……」
等という煽り文が紹介されていたような記憶があるが、
本作にはクリスはいてもクレアはいない。設定が変わったか? それとも……

なお、このアルファ、一時ファミコンのディスクシステム用に移植される予定があったらしいのだが、
技術的な問題か何かでお流れになっている。
その流れたアルファの代わりに発売されたアドベンチャーゲームが前述の問題作「水晶のドラゴン」である。

デフォルトそのまんまのカタカタが実に読みにくい。
ブラスティーもメッセージ表示がデフォルトのカタカナである事を考えると、
当時のスクウェア開発陣のレベルが知れる。

画面の左右にある白いロケットみたいな物体は、
移民船「ダイダロス」を現しており、
ここに表示される赤い光点が主人公クリスの現在位置を示している。

この機能にあまり意味はなく、
どちらかというと表示画面を三分の一に狭める事で、
CGを書く手間を省く事が目的だったと思われる。
画面が小さい方がアニメーションが楽であるのは、自明の理である。


※5 ハイドライド、ザナドゥ
当時のPCゲーム売り上げランキング、人気ランキングはこの二本がトップと二位を常に独占している状態だった。
雑誌によってはザナドゥが1年間トップに君臨し続けるなどの現象すらあり、もはや次元を超越していた。
現在の発売されて一ヶ月後には売り上げランキングから消滅するようなソフトとはかけ離れた存在である。
もちろん、現在では年間のゲームソフト発売数が当時と桁違いであり、
数少ないゲームソフトで長く遊ぶしかなかったあの当時と単純に比較は出来ないのだが。


※6 ウイングマン
週刊少年ジャンプで連載されていた桂正和氏の漫画「ウイングマン」の版権物ゲーム。
フォントは独自の丸文字のようなフォントを使用しており、
また、対応している単語が非常に多く、アドベンチャーゲームと言うより、
ファンディスクのような感覚があり、ユーザーフレンドリーで、評価が高かった。
戦闘シーンが簡易的なアクションシーンになっていたりと、痒いところに手が届く内容。
当時の版権物ゲームとしてはかなりの高評価を受けたゲームである。
1985年の段階で
独自フォントを使用しているのは結構な先進性。

独自の大きめのひらがなを使用し、
とても読みやすい。
アドベンチャーゲームでは、
フォントの読みやすさは死活問題である。


※7 セイバー
国産PC向けアドベンチャーゲームとしては、初のアニメーションを取り入れたゲーム。

ストーリーは、異世界に召還された平凡な学生が、勇者として姫を救出に行くと言う、
極めてありがちなもので、最後は巨大ロボットまで登場する。
エンディングも、主人公は任務こそ果たすものの、
現実世界に帰還せねばならないため、泣く泣く姫と別れるのだが、
戻った現実の学校では転校生がいて、その子は……と言うやはりありがちな展開。
しかし、現代のライトノベルもこれと大差ないテンプレートで造られているわけで、
これをもって否定するのは大人げない。

当時としては十分に製品として誇れる出来になっており、
これをやりたいが為にPC98を買った人も結構居たらしい。
有名なオフェーリア姫振り向きシーン。
PC88と比較すれば、
Ys2のリリア振り向きに先んじること3年。
PC98のパワーを見せつけた場面である。

なお、当時のエニックスは基本的に素人が造った作品を、代わりに販売するような、
代理店のような形態のメーカーだったので、実際当時のエニックスのゲームの多くは、
一般から投稿された作品であり、エニックスと言う会社内部で企画が練られ、
それが販売されたわけではない点に留意して頂きたい。
社内に多数の開発チームを所有するようになるのは、
公募で優秀なクリエイターを社内に取り込んで以降のことである。
かの堀井雄二氏がエニックスと繋がりを持ったのも、
当時のエニックスが開催していた「ゲームコンテスト」に応募し、入賞した為である。


※8 ファイナルファンタジー
「起死回生」と言われているファイナルファンタジーだが、
実際はそこまで爆発的に売れたわけではなく、総売上は50万本ちょっとでしかなかった。
(ちなみに、ほぼ同時期に発売された「リンクの冒険」は150万本。)
しかし、数十万本のヒットでも会社を立て直すには十分すぎる売り上げで、
その後のスクウェア躍進の土台となったのは言うまでもない。

なお、スクウェア製品で初めて100万本以上の売り上げを記録したのは、
ゲームボーイ用の「魔界塔士Sa・Ga」である。意外と感じる人も結構多いのでは?

それから、「ファイナル」と言う名前なのに何作だしてるんだよ?
と指摘される事があるが、「ファイナルファンタジー」とは元々が、
これが失敗したらウチはお終い、最後のチャンスという意気込みで付けたタイトル。
そして、21世紀を迎えた現在ですら、スクウェアと言うメーカーの立場は、
「正式タイトルのFFが外れたらお終い」と言う状況で、20年前と何も変わっておらず、
その意味では、毎回「ファイナル」と言うタイトルがついていても別段おかしくはない。
これが、良いことなのか悪いことなのかは判断が難しいところだが……



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